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2006年02月12日

立教ラグビー宣言

まず、私はスポーツに関してはド素人です。ここに書いているのは只、観戦して楽しんでいるだけの者の意見です。それと、サッカーの事が多いです。更に長い上にかなりの稚拙な文章です(これはいつもか)。御容赦を。

以前siesarさんとこで「立教ラグビー宣言」の記事を読んでいろいろと考えた事があって。


        「立教ラグビー宣言」

1.立教は、たとえルールで禁じられていないことでも、フェアの精神で自らを律してプレーします。
2. レフリーの存在意義を正しく理解し、心から尊重します。意見があるときは必ずキャプテンを通します。
3. ノーサイドの精神を具体的行動に移し、相手への敬意を示します。
4. アフターマッチファンクションでは、決して自チームで固まらず、相手と積極的に交流します。
5. ホームでは、たとえどんなに小さな練習試合でも、必ず簡易式アフターマッチファンクションを行います。
6. 生涯、これらの精神を遵守します。




まず、これは立教大学ラグビー部だけでなく、全ての競技スポーツを行う人に一度は読んでほしいと思いました。
この宣言はスポーツの魅力でもあると思います。siesarさんが子供達の大会の前に読みたかったと言うのも分かります。






「ルールで禁じられてない事でも、フェアの精神で自らを律してプレーします。」
というのはまず大人のプレーヤーからその姿を見せてあげないと。子供はすぐそのまねをするでしょうから。
教える立場の人、お手本となるトップレベルの人ならなおさら。


ルールで禁じられてない事というと、思い出すのはアトランタオリンピック柔道女子−48kg決勝で、ケー・スンヒが道衣の合わせを逆に着て田村(現姓谷)亮子に勝った事。今は禁止されたらしいけど、あれで田村は上手く道衣がつかめずに本来の実力を発揮出来ないまま敗れた試合だった。
私はこの「道衣を逆に着る」という行為は「うまいことやったなぁ」と思っただけで、アンフェアだとは思わなかった。
柔道をやっている人達からすればかなり邪道だったはずだけど(事実その後この行為は禁止されてるし)、圧倒的な実力のある田村に勝つ為の作戦だった。
もし、これがアンフェアな行為ならば戦っている田村なり、日本代表のコーチが試合中に審判に抗議して道衣を着直させているはず。審判も即座に試合を止めて直させていたのでは。
もし私が田村のような立場だったら、物凄く悔しがる一方で、「そういうアイデアもあるのか」と感心してますね、たぶん。
ボクシングの元世界チャンピオン、輪島公一さんのカエル跳びなんかも似たような事かと。相手は今までやってきた中でそんな攻撃はなかっただろうからかなり面喰らったはず。


微妙なのは、吉田秀彦とリターンマッチを戦った際のホイス・グレイシー。リングアナにコールされた後、上を脱いだ時には「やっぱりな(笑)」。実に彼等らしいやり方だと。しかし、試合ではホイスが吉田を圧倒した。事前のルールにより判定はなく引き分けという記録が残ったが、誰がどう見てもホイスの勝ちだった。最後なんかもう少しで吉田を閉め落とす所だったし。
彼は吉田に勝つ為に道衣を脱ぐという選択をしたが、これにより柔術が柔道より上だという事はなく、逆にその行為のみで(試合の結果に関係なく)柔術は柔道より下だといっているようなものだった。
その時に戦ったのはPRAIDEのルールだったのでホイスが道衣の上を脱いだのもルール上は問題ない。けれど、彼等の戦いに賭けられたのはバーリトゥーダーとしてだけではなく、「柔道」と「柔術」のプライドもあったはずなので、その点については釈然としないものも残る。試合後、ホイスが柔術の優位を全く語らずにいればまだ良かったけれど。

で、これはダメだろうと思うのは現楽天イーグルス監督、野村克也さんの現役時代の「ぼやき」。
「立つ位置が違う」、「スイングが遅い」などプレーに関する事ならアンフェアだとは思うがまだ許容範囲だけど、呑み屋で女の子と意気投合して夜の街に消えた話しなど、プライベートに絡んだものをゲーム中に持ち出すのは違うかなと。相手を小馬鹿にして怒らせるのもそう(つーか、これはルール違反?)。

ハンドボールの田場裕也選手が理不尽なファールを受けた報復に相手ゴールキーパーの顔面めがけてシュートを放ったことは、彼がその試合の後、気不味い思いをしたのが答えだろう。ルールの上ではOKでも、報復するきっかけとなった危険なプレーを行った選手と、やっている事はそう変わらないし。

それと、2003年のJリーグヤマザキナビスコカップ予選、京都vs大分のゲームで、負傷した大分の選手がいた為、京都の選手がボールをわざと外に出して中断させた後、スローインを受けた大分のロドリゴがそのまま持ち込んでゴールを決めた事があった。普通は京都側にボールを蹴って京都がボールを持った体勢になってから再開するのがフェアプレーの観点からの常識なのに。
しかし、その直後、大分の小林監督(現セレッソ大坂監督)の指示で京都がキックオフしても全くプレーせず、そのまま京都がゴールを決め、先のアンフェアなプレーによるゴールが帳消しという形になった。

ロドリゴはスローインになった経緯を知っていたはず。ボールを受けて攻撃した行為は同じゲームを戦う相手に対する敬意が無かったから生まれたものだろう。だからあのプレーはアンフェアだと言う事になる。知らなかったのなら、まだ許せる部分はあるが。


一言でフェアといっても難しいな。ケー・スンヒの事だって「あれは汚ねぇ、卑怯だろ」と言う人も多かったし。田村だって吉田だって相手と同じようにする事も出来たのだから、単に彼等が弱かっただけと言う人もいる。ロドリゴだって、それまでの彼のプレーして来た環境からすると、そうする事が当たり前だったかもしれないし。



「(円グラフを使って)勝利至上が50、フェアの精神が50。勝利を52にするとフェアは48になる、こういうものではないのです。(棒グラフを使って)勝利至上が50、フェアが50なら、フェアの棒の上に勝利至上の棒を乗せてしまえば、100になるじゃないか。」

この考え方には賛成。もっと多くの人に知ってもらうべき。
結局、「フェア」であるかどうかという判断は「各自、各チームの良心と誇りで判断」するだろうけど、「良心と誇り」というのは各自、各チームとも少しずつ違っているはず。「アフターマッチファンクション」を必ずやるのは相手側と交流し、そんな事を話し合ったりするいい機会だからなのかなと思った。それにより、相手への敬意も更に深まるだろうし。

と、ここまで偉そうな事を書いておいて、自分の事を振り返ってみる。










「レフリーの存在意義を正しく理解し、心から尊敬」・・・・・・して無い事はしょっちゅう。


普段は東京在住と言う事もあってFC東京を応援しているが、最近の東京で「くっそレフリー!!くっそレフリー!!」というコールをする事が多くなった。

私は基本的には反対で、かえって審判の心証が悪くなるのでやらない。このコールが出る時は本当にレフリーのジャッジがどうしようもないレベルの時だけなんだけど、一応、審判もミスをする事があるし、逆に自分達に有利に働く事も有るのだからと多少の事ならまだ我慢できる。

「糞レフリー」コールをしたのは一回だけ。一昨年のホームセレッソ戦で、東京のケリー(現アル・アイン UAE)がボールを持っている時に、セレッソの大久保(現マジョルカ)が後ろからスライディングタックルしたときに、何故かレッドカードを出されたのがケリーだった時。
あれはホントに危ないスライディングタックルで、ケリーが立ち上がった時には心底ほっとした。レフリーが
赤いカードを出した時には「ざまみろ、大久保、あんな汚い事やるからだよ」と思ったが、カードを提示されたのはケリーの方だったのでビックリ。どうやら報復行為があったらしかったが大久保に何もなくてケリーに出されたのかが分からなかった。
さすがにその時は糞レフリーコールを全力でやったが、ジャッジが覆される事は無く、はっきり言って空しいだけ。しかし、あのアホジャッジを見たら言わずにいられなかった。下手をすればシーズンを棒に振るだけでは無く、選手生命に関わりかねない事をされたのに、

他にも、地域決勝の大津での佐川急便中国戦。何故か退場を喰らった佐藤慎也に対するジャッジに対して「おい、レフッ!!ふざけんなコノヤロー」ぐらいのことは言ってたはず。後、前日のホンダルミノッソ狭山戦では「テメー琉球だけ厳しすぎるぞ!!」と言ったのは覚えている。実際には琉球もレフリーのジャッジに助けられたシーンもあったので言い過ぎたのは分かるけど。

東京のバレーボールで、相手のキャプテンが審判に抗議した時には「審判絶対!!審判絶対!!」「文句を言うな!!文句を言うな!!」と言ってたのに、逆の立場になると「審判しっかり!!審判しっかり!!」と言ってみたりした事もあった。

振り返ると、私は応援しているチームが不等なジャッジを受けた時、応援に身がはいりすぎる時程、審判に罵声を浴びせている。多分大概の人はそうだろう。特に、自分の子供に関しては親ならば我を忘れている事も多いのでは。

以前、さいたま市在住のレッズサポーターで、たまに地域リーグの甲信越リーグで笛を拭く事がある人と話をした時、やはり選手だけでなく、周りが文句を言ったり、罵声を浴びせるようなチームにはジャッジが逆に厳しくなると言った話を聞いた。で、たまの休みを削って少ない報酬で審判をしているのに、この扱いは酷いと思う事も度々だったそうだ。
審判はルールを元にゲームを円滑に進行するよう取り計らう人だけど、人間だから当然ミスもある。ゲームの目的である勝利の為には多少のことは我慢してプレーに専念するべきだと思うけど、理不尽過ぎるジャッジに対してどう向き合えばいいのか。
やり方の一つとしてユーモアで返すのもいいかもしれない。
2000年、Jリーグの東京vsヴェルディ川崎の試合で、明らかに副審のジャッジがヴェルディ寄りで、ぬるいサポーターの多かった私の席の周りでもその副審に対する文句が出て来はじめた頃、

「坂本ちゃーん、昨日接待したジャンよー!!」

と何処からともなく野次がとんで周りは大笑い。ピリピリしていた空気は和んでいき、本人に聞こえてたかどうかは分からないが、確かに変なジャッジは減っていった。

こういう抗議の仕方だと、審判の方もリラックスしていい笛が吹けるかもしれない。センスが問われるけど。

しかし、先に書いたケリーのようなケースがあった場合、正直言って私は我慢できない。そのような場合の上手い解決法があったら是非教えてほしいもんだ。


「ノーサイドの精神を具体的行動に移し、相手への敬意を示します」・・・・・・ヴェルディだけは無理だ。


選手に対しては敬意を持っているんですよ。例えばいい試合をして向こうから挨拶にきたら絶対拍手を送る。それぐらいの敬意はある。試合中、「テメー、コノヤロウ!!ずっと死んでろよ!!」と言う事はあっても。
一番感心したのはバレーボールのキャプテンでコーチ兼任の濱口。去年の話だけど、コートチェンジで東京側に来た時ブーイングで迎えて、唯一人笑顔で手を振っていたんですよ。その時の態度が立派だなぁと。
その時は「笑顔が素敵!!笑顔が素敵!!」とコールした後、それに答えていたけれど、
「プレーはイマイチ!!プレーはイマイチ!!」と返して、本人、ずっこけて笑っていた。
こういう選手はたとえヴェルディでも特別な敬意を持つ。

しかし、サポーターに対しては絶対敬意を表せない。交流する事なんて無理だと思う。
個人的に「緑蟲」とか「くそミドリ」とか言うのは選手ではなく、相手のサポーターに向けて言っている。
ヴェルディが嫌いなのは東京を応援しているからとしか言い様がない。アイツらに負けてほしくない。アイツらが勝って喜ぶのは非常にムカツク。只それだけ。ちゃんとした理由になってないけど。

でも、ヴェルディに勝っても相手サポーターの目の前でバカにする事はないし、負けて悪態をつく事もない。バカにされる様に挑発されてもそれに乗る事はない。「うっせぇ、次は勝つ!!」ぐらいの事は言うだろうけれど。只、悔しいのをひたすら我慢するだけ。そして、次の機会に全力で応援するのみ。
応援するチームが勝って喜ぶのは当然の事。それもスポーツの一つ。それを邪魔するのはダメだ、どんな嫌いな敵であっても。それもフェアプレーに反すると私は考える。試合会場の外まで中でやるように勝った側が負けた側をバカにするのは不粋なだけだ。


ラグビーの精神からすれば私のような者は野蛮人でしょう。絶対紳士ではない自信だけは有る。


試合で相手サポーターからの多少の挑発があれば更に楽しいし、それを規制するのは反感を覚える。人格の否定や政治、プライベートに絡めたものでなければ多少の挑発はあったほうがいいと私は考えます。

でも、ラグビーが今まで培って来た文化を大切にしようとする気持ちは良く分かる。無理に変える事もないと思う。私が将来熱狂的なラグビークラブのサポーターになったとしても、一応その流儀は守るはず。






このラグビー宣言は選手、スタッフ、それらに近い関係者だけで守ったって、たいして効果はないのでは。もっと多くの周りの人を巻き込まないと。理想は賛同する人が多くないと実現しないし。

例えば、これ。一応ネタレベルの記事だと解釈しているけれど、極端な話、周りがこんな奴らばっかりだったらラグビー宣言は自然消滅してしまうでしょう。
ところで韓国のラグビー選手は、この記事をどう考えているのだろう。



個人的にはルールはスポーツをプレーする為に必要で、フェアプレーの精神はスポーツを更に楽しく、意味あるものにする為に必要だと思う。

田場裕也「Cafe de Taba」・スポーツマンシップとは より。

ただ出来ればフェアーな試合をしたいものだ。
やっぱりハンドボールはスポーツだから、
勝っても負けても胸を張って握手で終われる試合をしたい。
またそうじゃないと観客もお金を払って見る価値は無いだろう。


ホントにそう思う。

普段の生活で嫌な事が多いのに、スポーツまでもがそんなだったらもっと嫌だね。応援する気にならねえな。





−−−−−−−−−−以上、偉そうな能書きを垂れている野蛮人より−−−−−−−−−−


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Posted by icebox at 22:09│Comments(4)スポーツ
この記事へのコメント
おはようございます。
自分も若い頃はiceboxさんのようでした。
試合中、殴ったり、削ったり.. と。
年齢を重ねていくことで、「ラグビー精神」を理解できるようになっています。

田場選手のコメントのように「見る価値のある試合」は、
やってる側も楽しいものです。
ボールという名の自由を得るために、
追いかけ、奪い合い、攻撃を仕掛け、陣地を守る。
殴ったり、削ったりする暇などない..
本当に素晴らしい時間を共有できるのは仲間と対戦相手、レフリーがいてからこそ。


「イギリスでは、スポーツは紳士を作るために行われる。
アメリカでは、ルールが作られてからスポーツが行われる。」
と言われています。
ラグビーを通して紳士になる努力をし、
紳士を作る努力を続けて生きたいと思います。
「勝利」という麻薬に負けないよう..
Posted by siesar at 2006年02月13日 09:29
ロドリゴに思わぬ形で“アシスト”してしまったのは、当時大分で現新潟の
寺川です。当時、自身の日記で
『ロドリゴ、なにすんねん!そんなアシスト、びっくりしたわ~』
と書いていたような気が。

ロドリゴ自身は、負けているんだから、どんな形にせよ得点を
取らなければいけないんだ。と言っていたような気がします。

あ、こちらのブログにリンク張らせていただきました。
不都合がありました言ってください。
Posted by きーちゃん at 2006年02月13日 22:12
> siesar さん

こんばんは。

一応自分なりに真面目に考えて書いたのですが、こんな長過ぎる駄文に丁寧なコメントをありがとうございます。

"本当に素晴らしい時間を共有できるのは仲間と対戦相手、レフリーがいてからこそ。"
確かにそうですね。私はこの認識が足りなかったのかもしれません。

"「勝利」という麻薬に負けないよう.."
この言葉はスポーツだけでなく現実社会でも言えるような気がします。
Posted by icebox at 2006年02月13日 22:59
>きーちゃんさん

あらびっくり。一人時間差でこんばんは。

そうでしたか。ロドリゴの気持ちは一応買いたい。
寺川の焦りには何故か座ぶとん一枚あげたい気持ちです。
リンクについては無問題。謝謝。
Posted by icebox at 2006年02月13日 23:40
 
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