共感の続き
わざわざコメントありがとうございます。んでもって続きです。
噺ができて最初に高座に掛ける時は出来があまり良くなかったりするそうですが、何度も練っているうちに受けてくる様になる事は、よく落語ファンの方から伺ってました。
落語が成立する為には観客が絶対必要な要素なので、今回の沖縄の噺はもっとウチナーンチュに知ってもらう必要があるのではないかと思います。そもそも花緑師匠もずっとこの噺に取りかかる事はできないでしょうから。
この噺がちむにしみて共感を得るまで、絶対にウチナーンチュが取りかからないと、せっかくできた噺が掛け捨てで終わって消えてしまうのでは。
もったいない。
「文七元結」という噺は、明治時代になって江戸に流入して来た地方の人達に"江戸っ子の了見とはこういうものだ"と示す為に三遊亭圓朝が拵えたという説があるそうですが、日本の各地方、それぞれの文化、風俗、了見はぜったいありますよね。それを元にした噺がもっとあっていいのではないかと思うんですよ。そして沖縄こそ数多くの、多種多様な噺が生まれると確信しております。
そういう意味で藤木勇人さんは、それこそ三遊亭圓朝レベルの凄い事を手がけていると思います。
申し訳ないです。続きは多分明後日。
なんせ明日は都田なもんで。
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